地方病教育推進研究会ブログ

山梨県地方病の制圧までの歴史

杉山なかの主治医吉岡順作

 地方病教育推進研究会事務局です。(ブログ第82号)

 今日の甲府盆地の予想最高気温は、36度です。鬱陶しかった梅雨が今日明けました。甲府盆地の気候は、夏暑く冬寒いのが特徴です。特に近年の夏の暑さは異常です。高齢者の筆者にとってこたえます。

 

 今回のブログは表題にあるように杉山なかの主治医であった吉岡順作について紹介し

ます。杉山なかは山梨県で初めて死後解剖を願い出た農婦です。杉山なかについては、これまで9回本ブログで紹介しました(2023/7/9   同年7/11  2024/1/13  同年1/23   1/28  2/9  2/16  2/23  3/5) 。杉山なかについての詳細は、これまでのブログを参照してください。

 

 写真は若き日の吉岡順作 です。

 吉岡順作は、医療、衛生、体育など多面にわたり活躍した医師です。杉山なかの遺志を受けて、『死体解剖御願』は吉岡順作が代筆したと考えられています。 

 彼の生い立ちはどうだったでしょうか。

 元治元年(1864)10月11日岡部村徳条(現在の笛吹市北部)にて吉岡應治の長男として誕生しました。應治30歳の時でした。当時は明治維新の夜明け前。英仏米蘭などの連合艦隊が下関を砲撃した事件の頃です。幕末です。世相は慌ただしく混乱していました。

 時代が大きく動こうとしている時、父應治は開業医として患者の治療をしつつ、邸内に寺小屋を開き弟子の教育に携わっていました。順作も父から教育を受けていましたので父からの影響を強く受けたと思われます。

 その後明治14年(1881)徽典館(きてんかん)《現在の山梨大学》医学所に入学します。明治17年(1887)東京の医師免許試験の合格を経て、翌年生家にて医院を開業しました。祖父、父そして順作と3代にわたる医師の誕生でした。

 その後の地方病患者との関わりについては、次回以降ブログで紹介します。

 

 地方病教育推進研究会

 事務局長