地方病教育推進研究会ブログ

山梨県地方病の制圧までの歴史

杉山なかを調べると

地方病教育推進研究会事務局です。

今週の月曜日は、甲府盆地でも雪が降り11センチの降雪量を記録しました。(写真)

水分を多く含んだ雪の除雪には、腰を痛めている筆者に取って重労働でした。しかし雪景色の美しさも感じました。皆さんのお住いの地域では如何だったでしょうか。

 

さて前回のブログでは、杉山なかの紀徳碑について掲載しましたが、なかの地方病制圧に関わる貢献は、色々な文献でも取り扱っています。

「明治・大正・昭和の郷土史 山梨県」(1982年昌平社出版)P52には、『地方病撲滅作戦』の中で次のように紹介されています。

山梨県の地方病、日本住血吸虫病の患者で、死後みずからの身体を解剖することを承諾し、その結果腸壁・肝臓に多数の虫卵が発見され、地方病の病原をつきとめる端緒をつくった杉山なかも、忘れてはならない恩人である。

 

なかはどんな女性であったのでしょうか。

なかの家について「ある医学史の周辺」では、次のように述べています。

杉山なかは杉山家の家付の娘で向部落に生まれ育ち、長じて同部落内の戸沢家から武七を婿に迎えて家を継いだ。杉山家には別の本家があって、当時の戸主は大右衛門、現在の戸主は金吾さん(筆者注ー現在は、代が変わっている)で、代々同部落内に住居している。なかの家はその分家として受け継がれてきた。同女の生年は死亡時の年齢から逆算して一応知ることができる筈であるが、月日は詳かに出来なかった。中々のしっかり者であったらしく、夫武七を助けて家業の農に励んだ。                         同書P236からの引用

 

なかも不幸にして地方病にかかるのだが、解剖に至るまでの様子を「解剖願書」を通して次回ブログで紹介します。

 

筆者も子どもたちへの授業で杉山なかを必ず取り上げています。

 

地方病教育推進研究会

事務局長