地方病教育推進研究会事務局です。(ブログ第87号)
大型台風7号はここ山梨では、大きな被害もなく無事昨夜通過しました。今日は、朝から大変暑く熱中症警戒アラートが発令されています。皆さんのお住まいの地域ではいかがでしょうか。
前回ブログの続きです。
吉岡順作の地方病患者である「杉山なか」の献体解剖当日の模様です。明治30年6月6日、午後2時から現在の甲府市向町の盛岩寺境内で病理解剖が行われました。盛岩寺は杉山家の菩提寺でもあります。山梨県下の医師57名が集まり、執刀医は山梨病院長の下平用彩が行いました。助手として順作はじめ4名が当たりました。彼は解剖に先立って「弔辞」を読み上げました。一部紹介します。
嗚呼人は尊重して最も愛惜するものは何ぞ曰く生命と名節との二者のみ げん(虫偏に玄)に杉山なを子一朝病魔の襲う所となり醫師が診療を求むる數名に及ぶも之が正確なる病因を明言するものなし‐‐‐
どんな思いでこの弔辞を読み上げたのでしょうか。
当時国内での死体解剖は、犯罪処刑人をすることは行われましたが、病気死亡者の病理・病態解剖は非常に困難な時代でした。「なか」の勇気には驚くばかりです。
向村の人々は解剖のことを知り、恐怖と物珍しさで多くの住民が集まって来ました。境内付近の木へよじ登り周りで覗き見したが、急造解剖台の周囲はむしろで囲まれていました。
6月の太陽は強く照り続けましたが、解剖は全身に及び日没に終了しました。解剖の結果肝脾静脈の緊張・十二腸壁・肝臓組織等に虫卵を発見しました。寄生虫は発見されませんでしたが、虫卵発見により「なか」の死因は、寄生虫によるものとわかり、水腫脹満の原因が寄生虫によるものだと考えていた順作にとって病気解明の大きな一歩となりました。
(写真は執刀医下平用彩)
春日居村誌及び手元資料から編集しました。
次回ブログは吉岡順作についての紹介の最終回とします。
地方病教育推進研究会
事務局長