地方病教育推進研究会ブログ

山梨県地方病の制圧までの歴史

長崎大学熱帯医学ミュージアム訪問記①

地方病教育推進研究会(略称-教育推進研)事務局です。(ブログ第161号)

梅雨の晴れ間。昨日から甲府盆地は30度超えの真夏日が続いています。

 

6月19日から一泊で長崎大学熱帯医学ミュージアムを訪問しました。かねてから同ミュージアム館長からお誘いがあり、意を決して行くことを決めました。

長崎大学熱帯医学ミュージアムでは、企画展「昭和100年風土病とのたたかい」ー「静かな生活革命」ー

を2025年12月23日から2026年7月17日まで開催しています。

 

写真は企画展のチラシ

この企画展についての目的を冊子の中の「ごあいさつ」では次のように説明しています。その一部を紹介します。

風土病の制圧は、現在あたりまえのことになっているため、忘れられがちになっていますが、私たちの暮らしにとっては実は大きな変化でした。

昭和時代の特に前半には、風土病は現在では想像することができないほど身近のもので、多くの人々を苦しめていました。風土病の病原体や感染メカニズムはさまざまで、その制圧のための方法も異なっていました。

昭和100年という節目の年に、制圧されたいくつかの感染症、特に風土病の歴史を振り返り、21世紀の新興感染症や地球規模の健康課題を考えるきっかけにしたいと考え、この企画展を企画しました。

 

筆者の30年前にこども達と取り組んだ地方病の授業。その時の班新聞と授業記録も展示してありました。山梨県の地から遠く長崎大学の地に展示されているのを目の当たりにし、不思議な感じがしました。

 

次回展示内容と館長によるギャラリートークを紹介します。

 

地方病教育推進研究会

代表 遠藤美樹

 

 

 

笛吹市春日居地区民生委員児童委員研修会を担当しました‼️

地方病教育推進研究会(略称-教育推進研)事務局です。(ブログ第160号)

6月10日(水)午後、昭和町風土伝承館杉浦醫院に於いて講演を行いました。これは春日居地区民生委員児童委員の研修会として実施したものです。笛吹市役所福祉担当、同社会福祉協議会事務局の方々含め20名の方々を対象にした講演会です。

春日居地区(現・笛吹市春日居町)は、山梨県の地方病制圧史において極めて重要な地域です。

しかし地域に暮らす人々は地方病のことをあまり詳しく知りません。

そこで今回の講演は、あまり知られていない「御指揮願い」及び医師「吉岡順作」について詳しく説明しました。

 

「御指揮願い」とは、1881年(明治14)8月27日付けで春日居村戸長・・田中武平太と衛生委員飯島邦寧によって東山梨郡役所経由で県令藤村紫朗宛に出された公文書です。これは地方病に関する初めての公文書です。内容は、

「村内の小松組に水腫脹満の患者が毎年発生し、地元の開業医にも原因が解らず、住民はなすすべもなく毎日を送っている。この病気の発生地域は限られており、水や土が身体に悪いのかもしれないので是非実地調査をし原因を解明して戴きたい」(現代訳ー実物は山梨県立博物館蔵)

これに対して県は診断書の提出を村に要請したに過ぎまかった。以後地元と県とのやりとりは数回あったが、原因究明はなかなか進まなかった。しかし、明治19年2月、軍医石井良斎によるこの地域の青年が体格不良であることを軍へ報告した事により事態は動き出した。

 

一方の医師・吉岡順作は春日井村に代々医業を営む家に生まれている。そして県で初めて死後解剖願いを出した農婦「杉山なか」の主治医だ。吉岡は解剖願いを代筆したと言われている。また死亡後の解剖に先立っては吉岡により弔辞が読み上げられている。

 

以上春日居村は、前述した通り歴史的に重要な出来事が起きている。研修会終了後、医院内外を館長さんらにより説明を受けた。

後日「初めて知りとてもためになった」等と多くの声があった旨、市役所担当者から連絡があった。

 

写真は、当日使用したスライド原稿の一部

 

次回は、静岡県の続きです。

 

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カンパにご協力をお願いします。詳細はホームページで。

 

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代表 遠藤美樹

静岡県沼津市における日本住血吸虫症の歴史①

地方病教育推進研究会(略称-教育推進研)事務局です。(ブログ第159号)

これまで日本住血吸虫症の感染地域のなかで三大流行地を取nり上げ制圧の歴史を集めた資料を元に詳しく記述してきました。

 

今回から山梨県の隣県である静岡県における日本住血吸虫症について取り上げます。これまで全国の感染流行地の中で沼津市はその一つであったことは知っていました。しかし詳細はわかりませんでした。恐らく甲府盆地を流れる富士川が駿河湾に流れ込む際日本住血吸虫の中間宿主であるミヤイリガイも川の流れとともに運ばれたと考えらます。

いずれにしても沼津市の状況はどうであったか調べなくてはなりません。

そこで沼津市文化財センターに問い合わせたところ次のような回答がありました。

 

お問い合わせの『沼津市誌』及び『沼津市誌 全』には、(日本住血吸虫症の)該当部分はございません。一般的な伝染病などの記載はございます。恐らくですが、「沼津市誌    

叢書」の中にある『旧村地誌 二 浮島村誌 郷土の研究』ではないかと思います。その中でも、該当部は「郷土の研究」の中にある「郷土の理科」三 浮島付近の植物動物鉱物 (二)動物 六其他 かと思います。

との返信がありました。

 

写真は、送っていただいた浮島村史表紙のコピー

大変貴重な資料です。次回以降紹介していきます。

 

余談になりますが、先月長崎大学のI先生が来県した際、浮島地区の様子を電車内から見てみたいとわざわざ身延線の電車に乗車して観察したそうです。その模様についてはまだお聞きしていません。

 

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代表 遠藤美樹

 

 

第6回地方病教育推進研究会報告

地方病教育推進研究会(略称-教育推進研)事務局です。(ブログ第158号)

2026年5月23日午後2時から昭和町風土伝承館杉浦医院に於いて設立三周年記念の意義を込め第6回地方病教育推進研究会が開催されました。

今回は山梨県内外から約40名の参加者があり今回も会場が参加者でいっぱいになる大盛況でした。学校関係者や医獣科学そして感染症史の研究者等多彩な顔ぶれでした。また地方病に関心をもたれている方の参加者も多く企画運営者として大変嬉しく思いました。

 

写真は会場の杉浦医院

昭和町教育委員会教育長様の祝辞の後、代表(執筆者)は設立三周年までの経過報告と地方病流行終息宣言が出されるまでの簡単な歴史説明を行いました。

 

引き続き実践報告に移りました。簡単に報告します。

初めに韮崎市立小学校講師M氏は、韮崎市や旧双葉町(現在の甲斐市)での実践の話しがありました。なかでもノーベル賞授賞者の大村智博士を授業に取り入れていることに感銘を受けました。

次に昭和町立小学校で校長として勤務しているS氏は、ホタルを育て町の未来につながる実践を報告。なかでも校長職としてホタルの育成を教育課程に取り入れていることに素晴らしさを痛感しました。

活発な意見交換の後、最後に長崎大学のI教授から講評を受けこの日の研究会を終えました。

後日メールでの感想を何人から受けました。その中に

実践報告を聞き、教育の場で地方病のような感染症制圧の歴史を扱うことは、公衆衛生学からみても極めて意義がある。

との意見が届きました。

大変ありがたい感想です。

 

なお研究会の模様は、翌日の山梨日日新聞に掲載されました。

研究会ホームページ 

アドレス https://chihobyokenkyu.wixsite.com/kenkyukai

 

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代表 遠藤美樹

 

 

日本住血吸虫を世界で初めて発見ー桂田富士郎の生涯⑤(最終回)

地方病教育推進研究会(略称‐教育推進研)事務局です。(ブログ第157号)

連日真夏日を記録している甲府盆地ですが、明日から天気は下り坂。第6回地方病教育推進研究会(研修会)の土曜日は、気温が下がりそうです。参加の皆様気をつけておいでください。今回も山梨県内外から多くの参加者が予定されています。

 

桂田富士郎について今回が最終回です。

山梨県の鎌田村(現・甲府市大里町)の町医者三神三朗宅を2度にわたり訪問し、世界で初めて新寄生虫を発見した桂田富士郎。1904年(明治37)のことです。当時岡山から甲府まで片道2日間かかるほどの遠い距離です。三神宅の訪問時の様子は小林照幸著『死の貝』に詳しく書かれていますがどうして隣県の広島県片山地方の有病地の調査をしなかったのか。この地福山だと山陽本線を利用すれば1時間半もあれば訪れることができるし研究面でも最適なはずである。

小林によると「(福山の地は)5年ほど前から京都帝大の藤浪鑑(あきら)のグループが調査研究をしているので行きづらい。相手の縄張りは荒らさない。ー当時の学者にはこんな不文律があった。桂田が研究するとすれば、山梨しかないのだ」

とある。いろいろな文献史料を調べてもこのような説明をしているものが見つからないが恐らく山梨の研究者との交流があった桂田にとって山梨地は最適であったのだろう。

写真は、桂田の生地石川県加賀市大聖寺町を流れる大聖寺川(出展:Wikipedia)

医学界での桂田の活躍は目覚ましい。

1914年(大正3)5月、東大理学部から理学博士の学位を受けている。これは「吸虫類の研究について」という論文が認められたものだ。またこの年の11月には、神戸に設立された「熱帯病研究所」及び「付属摂津病院」の所長、院長に就任している。

「日本住血吸虫の研究」で帝国学士院賞を受賞。桂田の論文は実に200編、欧文論文も21編を数える。まさに寄生虫研究の世界的権威となったのだ。1929年(昭和4)には、ロンドン王立医学会の名誉会員に推挙れている。

1939年(昭和14)10月19日、桂田の門下生によって「桂田博士学界奉仕第50周年記念会」が神戸で開かれた。発起人307名、協賛人418名という多数の出席者があった。

1945年(昭和20)3月、戦火が激しくなり神戸の空襲で桂田はすべてを失った。そして生まれ故郷の加賀大聖寺に帰ることになった。翌年4月5日肺炎で79年の生涯を終えた。

 

山梨県人にとって地方病(日本住血吸虫症)の制圧の歴史を研究する上で桂田富士郎は大変馴染みのある研究者だ。岡山県出身の知人に桂田の名を尋ねたところ知っていないということで意外に思った。今回限られた資料から桂田の功績を探求したが、初めて知ることが多かった。

 

地方病の制圧の歴史研究はまだまだ続きます。

 

今回は、小田皓二著「日本住血吸虫の発見」を主に参考として編集しました。

 

地方病教育推進研究会

代表 遠藤美樹

研究会ホームページアドレス

 

地方病教育推進研究会のホームページを開設しました!

地方病教育推進研究会(略称‐教育推進研)事務局です。(ブログ第156号)

大型連休も終え読者の皆様如何お過ごしでしょうか。

 

標題にある通り教育推進研のホームページがこのほど完成し、公開する運びとなりました。

これは、本研究会の設立3周年を記念して作成したものです。

 

写真は、ホームページの最初のページです。

アドレスはページに写っています。下記にも掲載しました。興味のある方ぜひアクセスしてみてください。

https://chihobyokenkyu.wixsite.com/kenkyukai

5月23日は、第6回研究会の日です。今回も県内外から様々な立場の方々の参加申し込みがありました。ありがたい限りです。事務局としても大会の無事故大成功を目指し、準備を進めてまいります。

 

桂田富士郎についての続きは次回ブログ第157号で書きます。

 

地方病病教育推進研究会

代表 遠藤美樹

 

 

 

日本住血吸虫の発見ー桂田富士郎④

地方病教育推進研究会(略称‐教育推進研)事務局です。(ブログ第155号)

 

文官分限令第十一条第一項第四号により休職を命ず

                大正元年十一九日  文部省」

1912年突然文部省から分限休職を命じられている。当時桂田は岡山医専だけでなく岡山県医学界の重鎮としても活躍していた。何故なのか大きな失敗や過失があったのだろうか。学内にあっては、研究や教育に熱心な言わば医専の看板教授として学生の間でも人気があった。

1904年桂田は日本住血吸虫を世界で初めて発見している。その功績が桂田の医専での地域を確固たるものにした。校長管之芳にとって自信満々な桂田の存在が面白くなかった。新寄生虫の発見は片道2日間はかかる山梨県での研究。5日間の滞在を含め帰校には9日間を要する。それが2回に渡っている。流行地の一つ隣県の広島県はすぐ訪れることのできる地だ。菅校長にとって桂田の山梨への出張は快く思っていなかった。そうした事もあって菅校長による桂田の不評を文部省に報告し、件の分限休職処分となったのだ。

写真は明治24年頃の岡山県病院(出展:『岡山大学医学部・病院の歩み』)

この処分に対し、また学校改善を要望する学生たちはストライキに打って出ている。以降医専の騒動は半年以上続いた。結果、初代校長であった菅も辞表を提出し、桂田も岡山医専を辞している。文部省は、1913年(大正2)ロンドンで開催された万国医学会に日本代表委員として派遣している。そして医学会で日本住血吸虫に関する講演を命じている。帰国後文部省に復命をし休職問題は解決を見たのである。

桂田の岡山在任は25年で終わりを告げた。岡山は優れた有名教授を失い、また菅校長の交代は当時の岡山医専にとって重大事件であった。「岡山の桂田」を失った岡山医専にとって大変なマイナスであった。

 

次回桂田富士郎の最終回を予定しています。

 

今回のブログは、小林照幸『死の貝』、小田皓二『日本住血吸虫の発見100年』などを参考に編集しました。