地方病教育推進研究会ブログ

山梨県地方病の制圧までの歴史

静岡県の日本住血吸虫症の歴史⑧浮島地区を訪ねて3

地方病教育推進研究会(略称-教育推進研)事務局です。(ブログ第169号)

夏の風物詩、石和花火大会も昨夜終わりました。夏休みの終わりが近いことを感じさせるイベントです。

8月19日(水)長野市にある宮入慶之助記念館を訪問しました。山口明館長さんから丁寧な説明を受け、充実したひと時を過ごすことができました。この機会を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。また静岡県のシリーズが終わりましたら宮入慶之助記念館訪問記として紹介したいと考えています。

 

富士市内の浮島地区訪問記の続きです。

田子の浦漁港食堂から北東に車で約20分ほどで江尾(えのお)地区に着きました。ここは旧浮島村の一部です。かつてこのあたり一帯は、沼地で日虫症の流行地でした。現在の風景では想像もつきません。

写真は、岳南電車・岳南江尾駅です。このローカル線は、工場地帯の中を走り、富士山の絶景も見れるという鉄道マニアにとっては、とても有名な路線です。筆者もテレビで見たことがあります(すでに紹介済み)。

駅のすぐ北には、新幹線が通っていて時折「ごー❕」という音が聞こえました。無人駅の静けさとは対照的でした。吉原駅と岳南江尾駅を結ぶ岳南電車の終着駅になりますので電車が到着すると一人の乗務員が乗務員室らしき部屋に入っていく姿を見ました。窓は、白いカバーがされているので中の様子を窺い知ることはできませんでした。下車した乗客は数名でした。

改札口から左側にトイレがあり、きれいで管理がしっかりしていたので感心しました。

(岳南江尾駅 撮影:筆者)

改札口付近に「伝言板」コーナーがあり懐かしさを覚えました。また富士市の連続文化講演会のポスターも貼られてあり、知っている有名人4名の名前が載ってありました。富士市の文化の高さを改めて感じました。また、なんと「浮島沼つり場」の案内がありました。駅から徒歩約18分の場所にあるとのこと。浮島地区に沼が未だあるとは思いもしなかったので、早速現場に行きました。

(浮島沼つり場 撮影:筆者)

この日は誰もいませんでしたが、ここは市民の憩いの場だと看板には説明書きがあります。駐車場にドライバーが一人休憩していました。

沼の北側には、浮島工業団地があり、土地改良の姿を感じました。南側には水田地帯が広がっています。男性が田に入り作業していました。

大変暑い日だったのでこの日の調査を終え、帰途につこうと車を走らせていたところ予想外の記念碑を発見しました。歴史的記念碑です。

詳細は、次号にします。

 

現場に行くと文献だけではわからない事実が明らかになります。楽しい限りです。

 

地方病教育推進研究会

代表 遠藤美樹

 

静岡県の日本住血吸虫症の歴史⑦浮島地区を訪ねて2

地方病教育推進研究会(略称-教育推進研)事務局です。(ブログ第168号)

西富士道の大渕・広見インターを降り左手に広見公園を見ながら最初に訪れたのが前回紹介した富士山かぐや姫ミュージアムです。この伝法地区には、ミュージアムのほかに富士市埋蔵文化財調査室や富士市民俗資料館があります。また教育関係の建物もあり、市の文教地区の一つのようです。

 

これまで調査室の学芸員Fさんからメールで資料を頂いたこともあり、そのお礼かたがた富士市の日本住血吸虫症(これから日虫症と記述)に関する情報を得たいとアポなしで訪問しました。アポなし手土産なしで後から大変失礼したと反省しましたが。

Fさんはあいにく外出されていましたが、二人の職員の方に短時間ですが、話しを聞くことができました。

はじめに若いUさんから浮島沼について尋ねたところ浜松出身なのでわからないとのこと。暫くすると上司のTさんから、富士市に合併した際の事情を説明して頂きました。その中で日虫症関係は、旧富士川町史のものしか引き継ぎがないとのことでした。それで旧富士川町史を送って頂いたとのことでした。合併前の旧吉原市の歴史には多くの記述があると思っていましたが、情報を得ることができず残念でしたが、浮島沼については話しを聞くことができました。

その後向かいにある富士市歴史民俗資料館を訪れました。農機具、製紙工業の歴史そして昔の小学校の教室を再現した部屋など貴重な展示を見ました。中でも胸まで浸かりながらの田植えの写真、この地方ではドロッタと呼ばれていますが大変貴重な展示資料には驚きました。また収穫時期も水が引かず木下駄を使い刈取りをしたそうです。この地で働く当時の農作業の大変さに驚くと同時に日虫症との関係を強く感じました。

午後から訪れた浮島沼跡に深く関係する展示資料でした。

(富士市歴史民俗資料館 撮影:筆者)

 

現地調査の楽しみの一つにその地ならではの食べ物を食することです。

田子の浦漁港食堂の駿河湾めぐみ丼は素晴らしいです。価格も手頃です。

(駿河湾めぐみ丼 撮影:筆者)

昼食を摂った後はいよいよ浮島地区訪問です。現地調査で新たな発見がありました。

次号に続きます。

 

地方病教育推進研究会

代表 遠藤美樹

静岡県の日本住血吸虫症の歴史⑥浮島地区を訪ねて1

地方病教育推進研究会(略称-教育推進研)事務局です。(ブログ第167号)

この度の令和8年熊本地震で被災されました方々にお見舞い申し上げます。一日も早い復旧復興をお祈りいたします。

 

かねてから静岡県の日本住血吸虫症の流行地を訪ね、今の様子を見たいと思っていました。8月4日に念願叶い訪問しました。たった一日の現地調査でしたが、多くの収穫がありましたのでこれから数回にわたり訪問記として掲載します。

(書き込み後の地図:筆者記入)

この地図は前回掲載したもので実際に訪問先を記入したものです。

はじめに富士市伝法(でんぼう)にある富士山かぐや姫ミュージアムを訪れました。

伝法地区は旧伝法村の地名から来ています。流行地ではありません。富士市の北部にある富士市の博物館です。

名前からかぐや姫に特化したミュージアムかと思いきや富士市の歴史を丁寧にまとめて展示してあります。夏休み中ということもあって親子連れが多く来館していました。

石器時代から現代まで市内で発掘された遺物を所狭しと展示され説明書きも丁寧です。その一部を紹介します。

富士山信仰についてのコーナーでは、修験者の着物や鈴などの携行品に興味が湧きました。また富士川舟運のコーナーでは、富士川河口の変遷そして甲斐国山梨との交流が模型やビデオで詳しく説明がありました。

市の南側には吉原宿があり、江戸時代の旅籠の模型が旅人の人形やジオラマ模型とともに展示してありました。大好きなドラマ「水戸黄門」の世界に入った感じです。

 

(富士山かぐや姫ミュージアム入口:筆者撮影)

かぐや姫伝説のコーナーでは、この地のかぐや姫伝説は通説の月へ帰るのではなく富士山へ帰ることとなっていました。幕末のとき、伊豆下田から駿河湾沖で難破沈没したロシアの軍艦ディアナ号の模型には圧倒されました。富士の人々とロシア人との交流の始まりでした。

 

このミュージアムには、日本住血吸虫症に関する説明や展示資料は全くありませんでした。しかし浮島沼のカラー写真が展示してあったのには、大変驚きました。浮島沼の今は土地改良が進み湿地帯はないと思っていましたので驚きです。

 

驚きの続きは次回に。研究にとって現地調査は極めて大事だということを改めて実感しました。

 

地方病教育推進研究会

代表 遠藤美樹

 

 

静岡県の日本住血吸虫症⑤

地方病教育推進研究会(略称-教育推進研)です。(ブログ第166号)

静岡県の日本住血吸虫症流行地は現在どの辺りなのか調べました。文献に出てくる須津川、江尾、川尻そしてよしわら(注‐吉原)に囲みを入れてみました。

国土交通省関東地方整備局甲府河川国道事務所が2017年(平成29)3月に作成した地図の一部です。筆者自身が土地の位置を知る上でこの地図を参考にしています。

 

(出展:国土交通省甲府河川国道事務所)

 

昭和の時代に入って検査や調査が行われています。1932年(昭和7)12月静岡県は、片浜村(現・沼津市西部の片浜地区及び今沢地区)の住民4,079名に対して検便を実施し、そのうち180名の日本住血吸虫卵者数を確認しています(寄生率4.4%)。対策が思うように進んでいなかったようです。

戦後の1950年(昭和25)8月から9月にかけてアメリカ駐留軍406部隊総合医学研究所により日本住血吸虫症の皮内反応による疫学調査が行われました。この部隊は山梨県を始め全国の有病地を訪れて調査と対策事業の援助をしています(これまでのブログで詳細を書いています)。その結果金岡地区では、26名の虫卵保有者数、寄生率26%を記録しています。

これまでに歴史を通覧するとこの地の宮入貝の生息地は徐々に狭まれ最終的には消滅しました。本稿によるとその理由を3点あげています。

1)自然的な棲息環境の変化  2)積極的な撲滅対策 3)環境改変

県による撲滅対策は殆ど見られない。3点目の環境改変が最も大きな役割を果たしたと考えられる。

甲府盆地や片山地方、筑後川流域とは大きな違いです。

 

ここまで前回同様『静岡県の日本住血吸虫病 (1)研究史 

佐藤二郎 野口政輝 望月 久 寄生虫学雑誌第11巻 第3号 1962年

を参考に編集しました。

次回に続きます。 

 

地方病教育推進研究会

代表 遠藤美樹

 

 

 

静岡県の日本住血吸虫症④

地方病教育推進研究会(略称-教育推進研)事務局です。(ブログ第165号)

地元紙「山梨日日新聞7月15日付号」の中に「顔」というコーナーがあります。以前T記者から取材を受けていましたが、掲載されました。大変反響が大きく様々な方から声をかけられています。中には高校時代の同級生が筆者の職場に突然訪ねてきました。新聞を読んで懐かしくて会いに来たようです。再会は40年以上ぶりです。

T 記者は、地方病の取材をずっと続けています。昨年も出張授業の取材や研究会の活動についても記事にしています。本年1月2日号では、地方病流行終息30周年という特集記事をまとめています。まだ若い記者さんですが、大活躍の方です。興味のある読者の方は新聞社に直接お問い合わせください。

 

表紙 出典:『春日居町誌 閉町記念編』2005年

6月10日笛吹市春日居地区民生委員・児童委員(以降民生委員と表記)20名が昭和町風土伝承館杉浦醫院を訪れ、研修会を開きました。館長から50分程度の講演をと依頼がありましたので春日居地区に関係の深い事に触れながら話をしました。後日同地区民生委員会長のAさんから写真の書籍をいただきました。非売品書籍なので一般には内容を知ることができません。非常に貴重な書籍です。その中に吉岡順作の碑が保雲寺(ほううんじ)にあるとの記述がありました。紙面の関係で詳細は別の機会にしますが、筆者にとって大変貴重な記念碑です。(同書P180参照)

 

静岡県の日本住血吸虫症制圧の歴史の続きです。

静岡県の日本住血吸虫病(症)の報告は、駿東病院の佐々木・野島(1915年)に始まる。その発見の端緒は、富士郡須田村川尻地方(現・富士市東部)からの患者に肝脾腫大を認めるに疑問を抱き現地に赴き調査した結果、多数の宮入貝が棲息し、4〜7%の割合でセリカリアの寄生率が認められた。また解剖した猫一匹から4対の日本住血吸虫の成虫が認められた。川尻地区50戸中40戸が感染し、中には一家4人全員が感染した例もあったようだ。同地区数名の患者が駿東病院を訪ねたのが1914年(大正3)7月。その結果1915年本病の流行を確認した。

宮入貝の分布は、川尻だけでなく須津、吉永、元吉原、浮島、原、片浜、沼津、金岡の2郡8町村(当時)にまたがり、総面積575町歩(1町歩‐約1ヘクタール)であった。虫卵者陽性割合も住民の2%にのぼっている。

 

参考文献:伊藤二郎他『静岡県の日本住血吸虫病(1)研究史 寄生虫学雑誌第11巻 第3章 1962年』

大正年間の前はどうだったのか疑問が湧きます。富士市誌には出ていませんが、興味が湧きます。

静岡県の日本住血吸虫症の制圧の歴史は、1915年に始まります。8月上旬、川尻地区周辺を観察に行きます。

 

次回に続きます。

 

地方病教育推進研究会

代表 遠藤美樹

 

 

 

静岡県の日本住血吸虫症➂ー最近の話題から

地方病教育推進研究会(略称-教育推進研)事務局です。(ブログ第164号)

これまで旧浮島村(現・沼津市及び富士市の一部)に棲息していたミヤイリガイは、恐らく甲府盆地のミヤイリガイが富士川の流れでこの地に流れ着いたものだろうと書いてきましたが、違うものであることがわかりました。以下論考を下に説明します。

飯島利彦(元山梨県公害衛生研究所研究員)は、山梨県は旧竜王町(現・甲斐市)と旧白根町(現・南アルプス市)で採取したものミヤイリガイ99個、静岡県旧富士川町(現・富士市)岩淵駅のもの69個、そして福岡県久留米市長門石地内で採取したもの75個をそれぞれ殻長や殻径のミヤイリガイを計測して比較した。その結果、山梨県産及び福岡県産のミヤイリガイ相互の間には有意差は認められなく、また両者は「太短型」である。これに対して静岡県産のものは山梨・福岡両県産のミヤイリガイと有意差が認められ、形状も「細長型」でることを解明した。

飯島は推測としながらも「静岡県富士川町産のミヤイリガイは相当古くから固着していたものである。甲府盆地を流れる富士川の河口にありながら山梨県に棲息するミヤイリガイとは相当大きな相違がある。」と本稿で記述している。

当然古い論考なので新しい発見があるかもしれません。しかし甲府盆地のものが流れ着き定着したとは断言できません。筆者自身の新しい発見です。

ここまでの参考文献:飯島利彦 山梨衛研所報『山梨県産ミヤイリガイと静岡県富士川町産及び福岡県長門石産ミヤイリガイの殻型との比較 1962 第5号』

 

つい先日SNS上でミヤイリガイの新亜種が西表島で発見されたことを知りました。本年3月のことです。岡山大学福田宏准教授、東大澤田直人特任研究員そして獨協医科大学桐木雅史講師らの研究グループが西表島の山中にある滝の周囲で未知の巻貝を発見し、日本住血吸虫の中間宿主として知られるミヤイリガイの亜種であることを確認しました。2020年に発見したのですが、本年2月、「イリオモテミヤイリガイ」としてアメリカの専門誌に掲載されました。

感染の危険はありません!

島内でも2箇所の極端に狭い範囲でしか確認されておらず、環境省レッドリスト所謂近い将来野生での絶滅の危険性が極めて高い絶滅危惧IA類に相当するそうです。

素晴らしい大発見で嬉しい限りです。

また研究グループの一員である桐木先生は、本研究会の研修会にも何回も参加してくださっています。来県の折には、甲府盆地のミヤイリガイの生息調査をされています。ミヤイリガイの専門家です。

 

西表島で発見された新亜種イリオモテミヤイリガイ(出典:岡山大学プレスリリース)

 

次回に続きます。

 

地方病教育推進研究会

代表 遠藤美樹

静岡県における日本住血吸虫症②

地方病教育推進研究会(略称-教育推進研)事務局です。(ブログ第162号)

 

昭和9年頃の有病地を示す古い地図が旧浮島村史に出ています。旧浮島村は、現在の沼津市と富士市にまたがる地域です。いずれも甲府盆地から駿河湾に流れる富士川の流域です。恐らくこの流れにそって日本住血吸虫の中間宿主であるミヤイリガイもこの地に運ばれ定着したものと考えられます。

現地を見学していないのですが、先日テレビ放送でこの地を走る岳南電車の沿線の番組があり偶然視聴しました。番組内では電車からの風景が映し出されていましたが、中小の河川や湿地帯など見られませんでした。勿論本症の制圧のために様々な取り組みがなされ今に至っていることだと思います。いずれにしても岳南鉄道の岳南富士岡駅周辺を来月初旬頃観察に出かけたいと考えています。

 

出展:旧浮島村史

 

1962年発行の『寄生虫学雑誌 第11巻』に同地の日本住血吸虫症に関する論考があります。これから論考の一部を何回か取り上げ静岡県の様子を考えていきたいと思います。

『静岡県の日本住血吸虫病』(1)研究史

静岡県における日本住血吸虫病(以下症とここでは呼ぶ)の存在はすでに1914年(大正3)から知られていた。その後研究者により疫学的な調査がなされ、予防対策も打ち立てられた。その結果浮島地方の宮入貝の存在も極めて稀で殆ど消滅したと思われていた。

しかし1961年(昭和36)、今まで分布の全く知られなかった富士川の西岸旧富士川町(現・富士市富士川地区)に突然日本住血吸虫症患者が数名発見され、同地方の水田地帯約50ヘクタールにわたって宮入貝の分布することが判明した。

県は直ちに調査研究を行うとともに焼却法や薬剤分布などにより、徹底的に殺貝を実施した。

 

以下次回以降、大正時代(1912〜1926)から静岡県の同症の歴史を振り返ります。

 

(出典:寄生虫学雑誌 第11巻 第3号 1962年 「静岡県の日本住血吸虫病 (1)研究史 伊藤二郎、野口政輝、望月久らによる著作」)

 

「旧富士川町史」には宮入貝殺貝対策の詳細が記述されています。別の機会に掲載します。

 

地方病教育推進研究会

代表 遠藤美樹