地方病教育推進研究会ブログ

山梨県地方病の制圧までの歴史

杉山なかの周辺

地方病教育推進研究会事務局です。

今回のブログも杉山なかの献体を巡る話題を森下薫「ある医学史の周辺から」から掲載します。春日居村は、杉山なかの主治医であり献体を勧めた医師吉岡順作ゆかりの村です。

 

古くから本病(地方病)が流行して患者があとを絶たず、人達は恐怖と悲嘆との生活を送っていた同村であったが、ついにそれに堪えかねてその筋に訴願し、病気の原因についての取り調べと対策の指示を乞うに至ったのである。明治14年のことで、8月27日付けで春日居村戸長長田中武及び衛生委員飯島邦寧両名の名で郡役所を経てときの県令藤村紫朗にあてて差し出された願書であった。

願書の中で、人達の苦悩をみながら何ら打つ手もなく、見過ごして来なけれならなかった苦衷を切々に訴えている。

だが、この願書を受け取った県の回答は甚だ頼りないもので、水腫脹満などという名だけではどんなものかよくわからないから、患者を診察した医師にもっと詳細に病状を書かせて差し出せというものであった。当時すでに甲府盆地の各地に蔓延しており、水腫脹満という名で広く呼ばれていた筈である本病について、その原因はともかく、その存在も、その名も知らなかったのではないかといぶかせるような回答である。

その後明治19年2月20日付で2度目の願書が出された。今回は、患者名と腹水病とし、病状の略記が添えてあった。県は3月15日、御用掛大橋辰、属原道貞を派遣して調査せしめたが何らの結論も得られなかった。両名の調査したのは主として生活環境と飲食物についてであった。

                             同書P232から引用

 

県がなかなか真剣に対応しない中、軍医石井良斎の登場で一気に事態が動きます。杉山なかの献体までに至る経過を同書は、詳しく書いています。次回も引き続きなかの周辺に迫ります。

写真(筆者撮影)は、春日居村の小松地区(現在の山梨県笛吹市春日居町小松地区)です。この地区には、近年大きなマンションや病院が建ち大きく発展しています。

 

地方病教育推進研究会

事務局長