地方病教育推進研究会ブログ

山梨県地方病の制圧までの歴史

杉山なかについてー文献から①

地方病教育推進研究会事務局です。

大変な天災や航空事故があった2024年開幕でしたが、読者の皆様如何お過ごしですか。今回から前回ブログでお知らせした通り、杉山なかに関するものを掲載します。

著者、森下薫は「ある医学史の周辺から」でなかについて詳しく記述しています。その一部を紹介したいと思います。

著者は、なかゆかりの医師吉岡順作の地山梨県春日居村熊野堂及び小松両地区(現在の山梨県笛吹市春日居町熊野堂地区、小松地区)をまず訪れています。筆者も最近訪れ今を観察してきました(写真は熊野堂地区ー筆者撮影)。

現在は果樹園が広がり、また新しい住宅街が造られ昔の様子は窺えません。ましてやかつてこの地は地方病(日本住血吸虫症)が流行し、人々を苦しめてきたとは想像できません。

 

同書 Ⅺ章 杉山なか女の解剖願書では、次のように説明しています。

本病(日本住血吸虫症)がいつ頃からこの地方に存在したかは元より明らかでないが、約300年前の頃、中巨摩郡竜王村附近(現在の甲斐市)でいわゆる水腫脹満病の薬なるものが盛んに販売されていたといわれているから、その頃すでに本病は広く蔓延してしていたことが推察される。

筆者(著者)が本病の研究史にゆかりのある場所を訪れ、またゆかりのある人にあうためこの地を訪ねたのは昭和36年2月で、たまたま同地に滞在された新潟大学のO教授が同行され、山梨県衛生研究所のA博士、I博士の両人が案内の労をとって下さった。両博士は研究所の地方病科で久しく本虫症の研究に従い、その方面のベテランであるので万事好都合であった。

最初に訪れたのは春日居村の熊野堂と小松とである。同村は甲府市の旧市街から東北約10キロメートルのところにあって東山梨郡(当時)に属し、笛吹川の支流に潤された水田地帯をなし遥かに大菩薩の連山を望むほか、外観的には何の変哲もない農村であるが、この村こそ、水腫脹満病と呼んで恐れられた日本住血吸虫症を初めて世に訴え、医人の関心を巻き惹き起す発端をつくった地である。

 

次号に続きます。

 

地方病教育推進研究会

事務局長