地方病教育推進研究会ブログ

山梨県地方病の制圧までの歴史

日本住血吸虫病(症)の名前、なぜ日本なのか

地方病教育推進研究会事務局です。

山梨県では、地方病と呼ぶ日本住血吸虫病(症)には、なぜ日本という名前がついているのでしょうか。フィリピンや中国など今なおこの寄生虫病で苦しんで人々がいるというのに不思議に思いませんか。

青山学院大学教授飯島渉先生の著作「感染症の中国史」にその答えがありました。

 

この寄生虫病には、なぜ「日本」という名前が付いているのでしょうか。それは日本住血吸虫という寄生虫とそのヒトへの感染のメカニズムを発見したのが日本人だったからです。

日本住血吸虫を発見したのは、岡山医学専門学校(現在の岡山大学医学部)教授桂田富士郎(1867〜1946)で、1904年のことです。桂田は、山梨県の医師でこの病気の研究を続けていた三神三郎の協力を得て、ネコとイヌを解剖し、ネコの肝臓から寄生虫の断片を発見しました。そして、ビルハルツ住血吸虫との違いを確かめ、発見した寄生虫を日本住血吸虫と命名したのです。

マンソン住血吸虫やビルハルツ住血吸虫には、いずれも寄生虫の発見者であるパトリック・マンソンやセオドア・ビルハルツの名前が冠されています。けれでも桂田は自らの名前ではなく、寄生虫に「日本」と付けました。

その発見は、日本における寄生虫学の金字塔的な業績でした。桂田は、日本の近代化のなかで、お雇い外国人を通じて導入された寄生虫学の日本における発達の姿を欧米諸国に示そうとしたのではないでしょうか。(下線事務局)

                        飯島渉著「中国の感染症」P166

 

日本の近代化にまつわるこうした話は、他の分野にもあったそうです。いずれにしても欧米各国の科学や技術を凌ぐ研究成果があったことに対して改めて敬意を表したいと思います。

   

 地方病教育推進研究会 事務局長