地方病教育推進研究会ブログ

山梨県地方病の制圧までの歴史

三神三朗の人柄

 地方病教育推進研究会事務局です。(第67回)

 4月に入り読者の皆様方におかれましては、新年度お忙しい毎日だと思います。昨日(4月5日)、甲府市の桜の満開も甲府気象台から発表がありました。4月の桜満開は、7年ぶりだそうです。笛吹市も満開なので早速写真を撮って来ました。場所は笛吹市役所前の土手です。右に流れる川は笛吹川です。

 さて前回に続いて三神三朗について記述します。

 三神三朗が笛吹市石和町広瀬の出身だということは、前回のブログで紹介しました。しかしその生い立ちの詳細は、わかっていません。今後地元の関係者に取材をしてまとめたいと思っています。

 三神三朗は東京・済生学舎卒業後、三神医院として地元で開業しました(既報)。その時の年齢は20代半ば。彼は、朝早くから深夜まで診療に明け暮れていたそうです。地方病への情熱は大きく、腹水除法は手際よく午前7時過ぎの診療開始を待って、陽が登る前から患者が門前に並んだそうです。

 また冬場に患者を待たせるのは可哀想だと、彼は患者が門の前に立った午前5時頃から診療を始めたそうです。宴席に招かれてもこのあと急患があるかもしれないと絶対に酒は受け付けなかったほどです。(以上小林照幸『死の貝』から参照)

 三神三朗の医師としての振る舞いや人柄がよく分かる箇所です。彼の志は現在もその後継者が引き継ぎ、甲府市大里町に整形外科・内科・呼吸器内科・脳神経外科医院として地域医療に従事されています。

 市井の医師三神三朗については繰り返しになりますが、生い立ちを含め調査研究を深めていきたいと思っています。

 

 地方病教育推進研究会

 事務局長