地方病教育推進研究会ブログ

山梨県地方病の制圧までの歴史

地方病撲滅に尽くした人々ー三神三郎

 地方病教育推進研究会事務局です。(掲載64回目)

 テレビ放送のお陰で視聴者から色々な情報が得られました。その一つが、石和町内の側溝に「地方病対策溝渠プレート」があるという情報でした。早速先週末、見に行き写真におさめました。昭和46年度 8 延長296米 5型などと書かれています(写真)。周辺を確認しましたが、このプレートだけでした。この地でも地方病対策の事業が確かに行われた証拠を確認できたことは、大きな収穫でした。

 

さて日本住血吸虫症の山梨県独特の呼称である地方病です。表題にあるように地方病撲滅に貢献された市井の医師たちが多く山梨県内にいます。三神三郎もその一人です。(注ー文献によって三朗と表記)

 今回から数回に分けて、三神三郎について書きたいと思います。

 山梨県東八代郡石和町広瀬出身(現在の笛吹市石和町広瀬)。済生学舎(現日本医科大学)に学び医師免許を取得する。その後三神家の婿養子となり、1904年(明治30年)に中巨摩郡大鎌田村二日市場(現在の甲府市大里町)にて三神医院を開院する。

 診療と研究に取り組んでいた三神三郎は、桂田富士郎に協力し、日本住血吸虫を世界で初めて発見する。その後、治療薬スチブナールを我が国で初めて使用し、治療を始めている。第二次世界大戦終了後、三神医院で地方病の治療を受けた患者も多かった。

 現在医院の敷地内に記念碑が建てられている。次回、桂田富士郎との日本住血吸虫発見に至る経過を紹介したいと思います。

 

 地方病教育推進研究会

 事務局長