地方病教育推進研究会ブログ

山梨県地方病の制圧までの歴史

戦後の米軍による地方病研究 

地方病教育推進研究会事務局です。

戦後の米軍の地方病に対しての対策を山梨県地方病撲滅協力会編(梶原徳昭著)「地方病とのたたかい」から紹介します。(同書P72-73)

太平洋戦争中フィリピンで地方病(日本住血吸虫病)に悩まされた米軍は、フィリピンでの疫学調査方法や検査方法を携え、終戦直後の昭和20年10月、日本各地の地方病有病地を視察した。山梨県においては、調査に先立ち「山梨県地方病撲滅対策委員会」の家永県衛生課長、昭和村の杉浦三郎医師と米軍の「住血吸虫病委員会」の間で会議が持たれた。

戦後、我が国の日本住血吸虫病の実態把握と予防撲滅の研究は、米軍406総合医学研究所(406MGLー注)と国立予防衛生研究所とによる共同研究として再開されることになった。(省略)

米軍406MGLは、昭和22年県庁内に臨時研究所を設け地方病(日本住血吸虫病)の予防法や宮入貝の撲滅に関する調査研究を開始した。

12月10日には、寄生虫検査のため客車を改造した検査車両を含む4両編成の「寄生虫検査列車」を甲府駅構内に停車させ甲府市などの住民3,055名の検査を実施した。

 

これらの事実は、戦後の地方病対策は、GHQ占領政策の一つとして行われたことがわかリます。地方病の歴史を学ぶ上で重要な出来事だと言えます。

 

(注)米軍406総合医学研究所の元は、杉浦醫院の文章によると米軍406部隊で細菌部隊だったようです。

    地方病教育推進研究会 事務局長