地方病教育推進研究会ブログ

山梨県地方病の制圧までの歴史

杉山なかの解剖をめぐって

地方病教育推進研究会事務局です。

杉山なかの献体解剖のお陰で地方病の原因究明が大きく前進しました。それは歴史的事実です。紀徳碑建立もその表れです。

 

今回は、解剖当日の模様を小林照幸著『死の貝』から引用します。

 

 解剖は6月6日に行われることになったが、医師のあいだで「山梨県初の解剖例」の噂が広まり、見学申し出が30人余りも殺到した。県立病院の手術室ではとても入りきれず、杉山家も見学を申し出たこともあり、盛岩寺の境内ににわかの解剖台が設置された。盛岩寺には、5日の夜から医師が人力車を連ねて集まり、県立病院からは顕微鏡など道具が運ばれる。晴天に恵まれた翌朝、医師の数は40人を超えた。これは県内の医師の8割強であった。

 ただならぬ出来事に村人は驚き、住職に聞くと「解剖」とのこと。怖いもの見たさの好奇心が村人の心をあおり、寺の庭を埋め、木や塀、さらには寺の屋根に登り、解剖を見守る騒ぎとなった。

 解剖の執刀は約束通り、県立病院長の下平洋彩と村上庄太という若い医師の二人によって午後2時より行われた。日没は午後7時、それまでに終わらせねばならない。二人を取り囲んで吉岡ら数人の医師が凝視し、状況によっては助手を務めた。騒いでいた見学者も、腹が開かれ、赤くくすんだ肝臓が見えると途端に静まり返った。

次回に続く

                            『死の貝』P38‐39

 

話題は変わりますが、前回のブログで紹介しましたテレビ放送ですが、多くの人が視聴してくださいました。何人かの方から電話もいただきました。励ましの言葉にこれからも地道に研究と研究会の活動を進めなくてはと決意を新たにしました。写真は、友人がテレビ画面を撮影して送ってくれたものです。

 

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地方病教育推進研究会

事務局長