地方病教育推進研究会事務局です。
前回のブログでは、山梨県で初めての献体を申し出た杉山なかさんについて説明しました。
今回は、山梨県内で地方病の研究及び患者への治療を献身的に行った杉浦健造先生について紹介します。今回は、その1です。
杉浦健造先生は、1866年(慶応2)年山梨県巨摩郡西条村(現中巨摩郡昭和町)に杉浦家六代目当主、大輔の次男として誕生しましました。大地主だった杉浦家は江戸時代初期から代々漢方医を営んでいましたが、江戸末期に生まれた健造先生は西洋医学を志しました。横浜で修業し医業開業免許を得ると、生家に戻って杉浦醫院を開業しました。1891(明治24)年、25歳のときです。
開業した健造先生の元には、連日60人を超える患者が訪れ、その多くは古くから甲府盆地で恐れられた「水腫脹満」と呼ばれる奇病を患っていました。体がやせ細り、皮膚は黄色く変色し腹部に水がたまって大きく膨らみ動けなくなり、やがて死に至るという病気でした。米作りを生業とする農民や農家の子どもたち、さらには馬や牛などの動物までも罹ってしまう恐しい病でした。
苦しむ人々を目の当たりにした健造先生は、原因究明に立ち上がりました。膨大な私財を投じ志を同じくする医師たちの中心的な存在となり、ともに研究を始めました。
次回に続きます。
昭和町風土伝承館 杉浦醫院の資料及び山梨県ふれあい特集号vol.38を参考にまとめました。
地方病教育推進研究会事務局長