地方病教育推進研究会事務局です。
やっと甲府盆地にも秋がやってきました。朝は、寒いくらいです。
さて、地方病を社会科の教材として筆者を始め多くの教員が授業に取り組みました。今も山梨県昭和町や中央市などの小学生中学年向きの社会科副読本には、地方病が教育課程に位置づけられ、授業を行っています。しかし、殆どの学校では、地方病の授業が行われていません。ただ一部の小学校で出前授業という形で実施されている程度です。
今回のブログは、表題のように地方病を演劇の上演を通して伝えようとした取り組みを掲載します。
はじめに学校での活動です。「地方病とのたたかい」(山梨県地方病撲滅協会編、梶原徳昭著)によると1990年(平成2年)石和中学校において生徒の自主制作による『構成劇・黎明』(杉山なかの解剖がテーマ)が上演されています(同書P36)。
次に劇団によるものを取り上げます(写真は、パンフレットの写し)。
1986年(昭和61年)11月13日、14日。山梨県立県民文化ホール・小ホールでの公演です。
山梨演劇協会合同公演、三井俊之演出「うすにごる あの河を渡った蛍たちよ」です。
この物語は、
富国強兵、殖産興業をめざして、日本を近代国家につくりかえることを急いでいた明治20・30年代。甲府盆地一帯には、腹水病なる奇病(日本住血吸虫病=地方病)が蔓延しており、その病気の原因の手がかりさえ解らなかった。
おとしは、ようやく穴切(当時遊郭のあった場所)の年季が明け、杉作の恋女房となったのも束の間、腹水病に倒れ、小作人であるが故に、貧乏であるが故に、医者にも診てもらえず短い命を終えた。
一方、地主の娘として、なに不自由なく育った千恵も、この奇病に侵され悶々とした日を送っていたが、おとしの死に激しい衝撃を受けた。千恵は、病気の解明に役立つなら、死後自分の腹を割って原因を調べて欲しいと申し出るのであった−−−−−。
筆者はこの公演を鑑賞していません。キャストを読むと懐かしいK先生の名前も出ています。当時海外勤務を終えて帰国し、忙しい毎日を送っていました。地方病のことも知りませんでした。しかし今改めてこのパンフレットを見ると、地方病との闘いの歴史を文化の面で伝えようと劇団が上演しています。観ていませんが、舞台の様子が目に浮かびます。劇団の方々の活動に感動を覚えます。
次回ブログで演出家の三井俊之氏の言葉を紹介します。
地方病教育推進研究会
事務局長