地方病教育推進研究会ブログ

山梨県地方病の制圧までの歴史

地方病を演劇の世界で②

地方病教育推進研究会事務局です。

前回のブログ10/4の続きです。1986年(昭和61年)の公演「うすにごる あの河をわたった蛍たちよ」の紹介をしました。今回は、そのプログラムに掲載されている演出家の三井俊之氏の言葉です。

 

前作「甲州釜無河原血螢乱舞」(はなちるさとじごくのかがりび)(注)を観た時から、この芝居はいつかキチンと創り直してみたいと作品だという思いにかられていた。そのチャンスがこんなに早くめぐってくるとは予期しえなかった。

合同公演の台本として決定した瞬間から、作品に対してさまざまな注文が噴出した。それらをほぼストレートな形で作者に伝え、書き改められたのが、今回の台本である。作者独特の「あそび」がすっかり姿を消し、シリアスな戯曲として仕上がっているが、あそびのなかに主題が見え隠れするのが、水木作品の面白さだと思っていただけに、残念である。「あそび」を削ぎ落としたことは、作者の意地だろうと受け取っている。だから、その意地を増幅する形での演出を試みたつもりだ。

改定によって、前作では杉作の影に隠れていたおとしが前面に出てきたことは、大いに気に入っている。おとしこそが「杉山なか」に最も近い人物であり、先駆的な甲州人のひとりである。ラストシーン、寺の境内の解剖台に横たわる千恵の遺体の向こうに、おとしの姿がいやがうえにも二重写しになっている。この作品のなかで、最も魅力的な人物である。

(注)この作品のパンフレットのふりがなは、「ゆめちるさとじごくのふえすていばる」となっている。

 

このプログラムには、三井氏の他元県知事望月幸明氏や元NHKアナウンサー末利光氏らも言葉を寄せています。各方面で期待が多く寄せられた作品だったようです。本当に観劇したかった作品です。

写真は、前作「甲州釜無河原血螢火」のパンフレットです