地方病教育推進研究会ブログ

山梨県地方病の制圧までの歴史

体験者から学ぶ

地方病教育推進研究会事務局です。

 

今年の残暑は、今まで経験したことのないものとなっています。

読者の皆様はいかがお過ごしでしょうか。

 

さて、昨日甲府市内にお住まいのご高齢の方に、地方病にかかったということで直接お目にかかりお話をお聞きしました。

Sさんという男性で、85歳です。

記憶をたどりながら一つ一つ思い出しお話をしていただきました。

以下その概要です。

 

昭和町で生まれたが、小学校3年生の頃の夏休み、自覚症状は全くなかったが、親の強いすすめで杉浦醫院の杉浦三郎先生に診てもらうことになった。おそらく親が自分の様子を見て心配してのことだったろうと思う。醫院へは、一人で徒歩で通った。

その時は、先生から地方病とはっきりと言われた記憶がないが、太い注射を20〜30本打たれた。治療は、夏休みで終えることができた。それ以降、特に変わったことはなかった。

プールのない時代、鎌田川でよく遊んだ。周りの大人からは、裸足で畑なんか走りまわるなとよく言われた。自分の家は、農家でなかったが知り合いの家の田植えは、よく手伝った。もちろん裸足での作業だった。

 

石の多いところや流れの速い川には、宮入貝はいないと聞かされた。カーバイトを使っての宮入貝の殺貝をみた。小学生の頃、割り箸を使って貝を採った。後の処理はどうしたか記憶にない。小川のコンクリート化はずっと後のことだった。(当時)天野建知事から流行終息宣言が出たときは、本当に良かったなあと思った。

身内でも地方病で亡くなった人がいた。

56歳の時の職場での人間ドックの際、検診結果の知らせがきたが、その中で日本住血吸虫病との記載があった。その書類を見せながら、肝臓障害との診断だった。おそらく腹部エコーで寄生虫の卵の痕跡が写っていたのだろうと思う。今でも自覚症状はないが、医師からは、飲酒や過労に注意するよう指導されている。

 

地方病教育推進研究会については、素晴らしい活動していると思う。今後も続けてほしい。

 

 

地方病について色々なことをご存知でした。印象深かったことは、周りの大人からよく声をかけられたということでした。昭和の良き時代を感じました。地域の教育力は、地方病の歴史を学ぶ上でもキーワードになりそうです。地方病に罹った人の症状や歴史は様々です。改めてお話を伺って強くそう感じました。体験者の高齢化は、益々進みます。本研究会も聞き取りをできるだけ早く進めていきたいと思います。

Sさん貴重なお話ありがとうございました。

 

    地方病教育推進研究会 事務局長