地方病教育推進研究会ブログ

山梨県地方病の制圧までの歴史

杉浦三郎先生について

杉浦健造先生の娘婿の三郎先生もまた、宮入貝の研究や地方病の治療の検討など地方病撲滅に尽くしました。1949(昭和24)年には、この年に創設された山梨県医学研究所の初代地方病部長に就任し、戦後の地方病撲滅運動に大きな役割を果たしました。

1996(平成8)年2月19日、山梨県は地方病の「流行終息宣言」を出すに至り、これをもって「地方病撲滅の闘い」は幕を閉じました。杉浦先生親子を始めとする医師たちとこの病に苦しめられた地元住民の長年の取り組みの勝利となったのです。

また昭和22年10月、山梨県行幸における昭和天皇の有病地視察時、中巨摩郡玉幡村(現在の甲斐市)では、案内を杉浦三郎先生が行いました。

現在、杉浦先生親子が治療と研究に使われた建造物は、昭和町風土伝承館 杉浦醫院として、また国登録有形文化財として広く公開されています。庭園には、地方病終息宣言の碑が置かれています。

昨年発刊された、杉浦醫院編集の「地方病を語り継ぐ」を読むと三郎先生に直接治療を受けた方々の体験の話が出てきます。医師杉浦三郎先生の優しい人柄が偲ばれます。

 

昭和町風土伝承館 杉浦醫院の資料及び山梨県発行ふれあい特集号vol.38を参考にまとめました。

 

  地方病教育推進研究会事務局長