地方病教育推進研究会ブログ

山梨県地方病の制圧までの歴史

地方病教育推進研究会から地方病について説明します。 

地方病という病気を知っていますか。今回は、地方病について少し詳しく説明します。

今から100年ぐらいまでは、奇病と呼ばれ原因不明の病気でした。

 

この病気の概要を説明します。

山梨県では地方病と呼ばれ、甲府盆地にかつて流行した寄生虫による感染症だ。一部富士川流域の身延町の一部(旧中富町飯富地区)も流行した。

広島県岡山県、福岡県、佐賀県などにも同様な感染症があったが、山梨県は全体の3分の2を占めるほど圧倒的に広い感染地域面積だった。山梨県以外では、広島県片山地方では片山病と、九州筑後川流域ではジストマとそれぞれ呼ばれた。全国共通は、日本住血吸虫症と呼びます。

 

武田信玄公の時代の「甲陽軍鑑」にすでにお腹が膨れる病の記述があり、すでに流行していたことがわかる。

・症状としては、お腹がふくれる。発熱、下痢、食欲不振、倦怠感などの症状があり、まれに脳に感染する場合もある。人々は、突然にこの病にかかり、腹種腸満という症状が現れ原因がわからず死に至るこの病気を恐れた。地方病は、山梨県甲府盆地等の地域独特の風土病である。      

・原因究明に多くの人々がかかわり、そして時間がかかった。杉田村(現在の甲府市向町)の農婦杉山なかは、自ら献体を願い出て明治30年(1898)解剖が盛岩寺で行われた。この解剖によって病気究明が大きく進んだ(杉山なかの記念碑が盛岩寺にある)。

・春日居村(現在の山梨県笛吹市春日居町)の医師吉岡順作ら57人の医師が解剖に立ち会っている。この時は、病原体は発見されなかったが、多数の虫卵が発見された。その後明治37年(1904)岡山県の桂田富士郎によって寄生虫が発見された。これが日本住血吸虫と命名された。

・次に感染経路の究明が多くの医師や研究者によって進められ、ついに大正2年(1913)宮入慶之助らによって中間宿主ミヤイリガイが発見された。このことで日本住血吸虫の生活サイクルが分かり撲滅への道が大きく開いた。

・以来、宮入貝駆除が病気撲滅の大きな課題となり官民一体で駆除の取り組みが推進された(薬剤の散布、水路のコンクリート化、バーナーによる燃焼殺貝など)。

・平成8年(1996)山梨県知事天野建(石和町出身)により地方病流行終息宣言が出される(地方病との闘い100年戦争の終息)。しかし宮入貝は、現在も棲息している。

 

世代が変わり地方病で苦しんだ人々が少なくなりました。子ども達に授業をしてもこの病気を全く知りません。学校の先生方もこの病を殆ど知りません。後世に地方病と闘った人々のことを次の世代に伝えなければと強く感じ「地方病教育推進研究会」を立ち上げました(5月27日に設立)。

世界に目を向けるとフィリピンをはじめ多くの国々において日本住血吸虫病で苦しんでいる人々がいます。そのことも子ども達に伝えたいと思っています。

「地方とのたたかい」山梨県地方病撲滅協力会発行2003年版を参考にまとめました。  

 

  地方病教育推進研究会事務局長