地方病教育推進研究会事務局です。(ブログ第105号)
明けましておめでとうございます。2025年最初のブログです。
杉浦三郎についての記事は、今回が最終回です(新たな資料が出ましたら再び書きますが)。
杉浦三郎は地方病研究に没頭しますが、地方病患者への治療に尽くしました。その様子を色々な資料で目にし、これまでも紹介しましたが今回は昭和町風土伝承館 杉浦醫院編『地方病を語り継ごう』から体験記を一部編集して掲載します。(同書P153)
写真は、治療をしている杉浦三郎
昭和町在住のW氏の体験記です。
地方病の根絶に全力を傾けられた杉浦先生。西条新田に生まれ育ち、開業した後、地元だけでなく他の地域の多くの方の命を救うため、地方病の研究に没頭されました。地域のために貢献しようとする姿を、私は間近で拝見してきました。
私自身も、小さい頃は身体が弱く、冬になると必ずと言っていいほど風邪を引いていました。よく杉浦先生に診てもらったことを思い出します。待合室は畳の部屋で、大きな火鉢が一つ置いてあり、診療を待つ間、その火鉢で暖を取ったものでした。いつも沢山の方が診療を受けに来られていて、待つ時間が長くなることもしばしばでした。待合室の隣り合わせに薬を配合する部屋があり、そこにはいつも、先生の奥様がおられ、薬を配合し、診察が終わった人たちに渡していました。
私は診てもらう回数が多かったので、待合室に入ると、奥様が薬を渡す窓から顔を出し、「ひなちゃん、今日はどうしたの。知っかり診てもらってね」と、いつも優しく声をかけてくださいました。
(三郎)先生は、診察を受けに来る患者に対していつも寛大で、おおらかで、優しい気持ちを持って接しておられた姿を今も思い出します。大変穏やかなお人柄だったと記憶しています。
私の家は杉浦先生の隣でもあり、心からの親近感を持たせて頂いた先生です。現在、私は全国の学校、教育機関を廻り命の授業、命の講演を行っております。この活動を行う背景には、「全力を傾けて患者の命を救いたい、そして全ての患者に健康で幸せな生活を送ってもらいたい」という杉浦先生の気持ちに触れたことが大きな要因としてあったのです。
杉浦先生は、今でも、地域の人たちの命と生活と、そして幸せを見守ってくださっているように感じます。
三郎の人柄がよく出ているW氏の体験記だと思います。
他にも三郎医師から治療を受けたという高齢の方の話を聞いたことがありますが、 いずれも温厚で優しい人柄だったと語っています。
正月に昨年放送された「今、伝え残したいこと〜地方病の歴史を未来へ〜」の再放送がありました。たまたまこの番組を視聴した近隣の婦人から妻に電話があり、彼女の親戚の人の体験を少し伺いました。地方病に大変苦しまれた様子が伝わる話でした。
この地にも今も地方病に闘った人たちの歴史が眠っているんだと痛感しました。
今年も記録収集に取り組みたいと決意を新たにしました。
地方病教育推進研究会
事務局長