地方病教育推進研究会ブログ

山梨県地方病の制圧までの歴史

三神三朗先生を偲ぶ③

 地方病教育推進研究会事務局です。(ブログ第75号)

 例年になく梅雨入りが遅く、今日も甲府盆地は30度超えになりそうです。読者の皆さんのお住まいの地域はいかがでしょうか。

 

 今度の土曜日6月15日、地方病教育推進研究会設立1周年記念大会が予定されています。今回も県内外から研究者、小高学校教員、一般参加者など多くの申し込みをいただきました。当日の無事故・大成功に向けて準備を進めています。気を付けてお越しください。皆さんにお目にかかることを楽しみにしています。

 

 写真は最近本研究会の顧問である梶原先生からいただいた資料の一部です。先生にお会いするたびに地方病(日本住血吸虫症)に関する様々な資料を頂戴しています。三神三朗に関する文献の写しは特に筆者にとっては有難い資料です。『スチブナールニヨル日本住血吸蟲病患者ノ治療實驗』は、三神三朗が記述したもので大正12年9月12日に「實驗醫報第九年第百八號別冊」に掲載されたものです。

 三神三朗は、患者の治療をしながら地方病治療と研究に取り組んだ市井の医師です。三神三朗を調べている筆者にとってとても貴重な文献資料です。

 

 河野文蔵氏の「三神三朗先生を偲ぶ」の第3回目です。三神三朗先生を偲ぶ②の続きです。以下掲載します。

 私は先生の助手をしたり薬局で薬の調合等も致して参りました。また毎日のように顕微鏡にて検便して虫の卵の有無の検査をして、お手伝いも致しました。昭和の初め頃までは一年中休暇もなく働きました。患者さんは毎朝暗い内より家を出かけて、遠い町や村から来院致し、開院前に前庭に提灯を持ち、リヤカーに布団を敷いて毛布を頭からかぶり、乗って待っている人が数人でした。患者さん多勢なので順番がわからないので番号札を渡した様な次第でした。でも一日おきに通院なさる患者さんと付き添いさんも大変のことと察しました。毎日のことながら診察して治療なさる先生も大変です。幸い御健康で休まず精出して治療を致して下さいました。

 先生のお人柄は実に皆様の御手本として申し分御座いません。身なりの見苦しい人、富める人、貧しい人等の差別をせず、心より温かく患者さんの手をとり親切に診察治療なさる様子を私も目の前で見た時、思い出しました。昔の話の通り「医は仁術なり」との言葉でした。 

 三神先生の偉大な功績はいついつまでも忘れてはなりません。

    『地方病とのたたかい』1977山梨地方病撲滅協力会編 P169からの引用

 

 一部省略して掲載しました。三神三朗の人柄がよく出ている河野氏の文です。

 

 地方病教育推進研究会

 事務局長