地方病教育推進研究会ブログ

山梨県地方病の制圧までの歴史

 地方病研究者 市井の医師杉浦健造②

 地方病教育推進研究会事務局です。(ブログ第91号)

 残暑が厳しい日々が続いています。甲府盆地の今日の予想最高気温は35度。9月の中旬となっても猛暑日が続いています。

 杉浦健造の生い立ちを説明をします。

 杉浦家の家系を遡ると初代覚堂、2代覚堂、吉道、要人、道輔(青韻)、大輔、嘉七郎、健造、そして三郎と続きました。杉浦家は、ずっと昭和町西条地区で医業を営んでいました。

 健造は、1866(慶応2)年西条村(現在の山梨県中巨摩郡昭和町)に、杉浦家当主・大輔の次男として生まれました。大地主だった杉浦家は江戸時代初期から代々漢方医を営んでいました。

 尋常小学校を卒業後、甲府城内にあった徽典館(現在の甲府第一高校)に学んだ後、後に伊藤博文の侍医となった小沢良斉師の門に入り医学を学びました。健造は西洋医学を志したのです。1889(明治22)年、医業開業免許を得ると、生家に戻って杉浦醫院を開業しました。1891(明治24)年、25歳のことでした。

 開業後、私財をなげうち「地方病」の原因解明と患者への治療活動を進めました。

 次回も杉浦健造について書きます。

 

 今回のブログは、『昭和町誌』、『地方病とのたたかい 1977』、山梨県広報誌『ふれあい』などを参考にまとめました。

 

 地方病教育推進研究会

 事務局長