地方病教育推進研究会ブログ

山梨県地方病の制圧までの歴史

地方病をめぐっての農民の窮状

 地方病教育推進研究会事務局です。(ブログ第79号)

 今日の甲府盆地の暑さは尋常ではありません。予想最高気温が36度です。明日はさらに37度と予想されています。まだ本格的な夏の前の猛暑日です。

 

 先日の研究会(記念大会)の講演の中にも触れてありました明治時代の農民の窮状について紹介します。

 明治新政府から派遣された県令藤村紫朗に対し、春日居村(現在の笛吹市)村長から何回も奇病(地方病)に対する調査依頼がありました。1881年(明治14)の「御指揮願」がそうです。県への正式な要請がこの願いとされてきました。しかし、研究の結果それ以前の1874年(明治7)能臓池(注-南アルプス市野牛島にある池)湧水の検査願い、宮沢村窮状の訴え(明治7年)、移住願い(明治10年)と奇病(地方病)に苦しめられている農民の姿が歴史の表に出てきました。

 話題が変わりますが、山田多賀市は山梨県が生んだ農民運動作家です。小説『農民』(写真)の中に第1章日本住血吸虫があります。その中にも地方病に苦しむ農民の暮らしが出てきます。

 

 この地方に住む農民は短命であった。40歳を過ぎる頃になると、早い者は30歳頃から、男も女も、次第に肌の色が青黄色くむくみはじめ、精力がおとろえて腹ばかり大きくなり、肩で息をするようになって、50歳前後には骨と皮ばかりに痩せて死ぬのが普通であった。これは、長い伝統である。この地方に人間が住むようになって何千年、東から太陽が出て西にしずむ限り、それは間違いなく、くりかえされてきた歴史だ。(P9)

 さらに組合オルグと主人公の勇三との会話が続き、

「おい勇三君、おめえ、大人になったら、何になる‐‐」

「おらあ、地主になりてえな!」

「そうだな、地主は腹がでっかくなって死なねえもんな」

 

 この後も農民の貧しい生活の様子が綴られています。

 

 筆者は、この小説本を昭和町風土伝承館杉浦醫院館長の好意でお借りして読みました。小説とはいえ地方病に苦しむ農民の暮らしがよくわかる作品です。山田多賀市は農民の目線で描いています。

 杉浦醫院には、文献資料のみならずこうした地方病に関する書籍も保存・保管してあります。すでに廃刊になっている書籍を手に入れるのは極めて困難です。ですから杉浦醫院蔵書はとてもありがたいことです。

 

お陰様でブログ地方病教育推進研究会は7月、2年目に入りました。

 

 地方病教育推進研究会

 事務局長