地方病教育推進研究会ブログ

山梨県地方病の制圧までの歴史

レイテ島と地方病 その2

地方病教育推進研究会事務局です。

太平洋戦争も終盤の頃、レイテ島は日本軍と連合国軍(米国軍)との激しい戦闘の地となりました。

マッカーサー元帥率いる連合国軍は、1944年(昭和19年)10月20日に反転上陸しました。いわゆるマッカーサーの「I shall return.」です。そして米兵は上陸後2,000名を超える地方病の感染者を出しました。感染によって多数の死者が出ました。はじめは、日本軍の化学兵器による被害ではないかと疑ったそうです。しかし、米国軍は遺体を本国に送還し解剖した結果、死因が地方病(日本住血吸虫病)であることを突き止めました。

そして米国医学は、元々地方病について十分な知識と高い研究水準を持っていたため、早くからその対応を行い、地方病の被害を最小限に食い止めました。米国内に住血吸虫病委員会の設置や国内2ヵ所に専門病棟を開設するなどの対応です。

 

それにしてもなぜ米国は、地方病対策が早かったのでしょうか。それは、米国の歴史にあるようです。アフリカ大陸西海岸から多くの黒人奴隷を連れてきた歴史です。その際アフリカの風土病であるビルハルツ住血吸虫症(注1)やマンソン住血吸虫症(注2)の患者が多くいたと言われています。元々北米には、それらの住血吸虫症の中間宿主の貝はいませんでしたので、移民による感染者を防ぐため研究をしていたそうです。それがフィリピンでの地方病対策に生かされたわけです。

 

戦後進駐軍(占領軍)として日本に駐留した連合国司令部は、甲府での地方病研究を開始しました。甲府駅に研究用の専用列車を設置しました。次回以降、その歴史に触れたいと思います。

今回の原稿は、有泉信先生及び林正高先生の前回までの既述の論考を参考にまとめました。

(注1)ビルハルツ住血吸虫症ー

ドイツ人医師テオドール・ビルハルツによって発見されたヒラマキガイを中間宿主とする寄生虫病。主に中近東、インド、ポルトガル、アフリカなどに分布している。

(注2)マンソン住血吸虫症ースコットランド出身の医師パトリック・マンソンが発見。淡水巻貝を中間宿主とする寄生虫病。アフリカ、中東、カリブ海沿岸、南米などに分布している。

    地方病教育推進研究会 事務局長