地方病教育推進研究会事務局です。
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今回は、レイテ島にスポットを当てて書きたいと思います。
フィリピンは、西太平洋に位置する東南アジアの国です。7000以上もの島々で構成されています。美しいビーチを訪れる日本人観光客も多いようです。英語が公用語で県内の公立小学校でALTとして働いている青年も知り合いにいます。
その中でレイテ島は、フィリピンの中部に位置し南北に細長い島です。レイテ湾に面した一帯が農業に適した平地で、中央部は山岳地帯となっており、熱帯性気候の密林地帯でもあります。
このレイテ島が、大岡昇平の「レイテ戦記」の舞台です。太平洋戦争の激戦地の一つですが、日本軍は補給物資や兵員補給の輸送船が連合軍(米軍)に撃沈され、8万人以上の兵士が戦死や餓死でほぼ全滅の状態でした。生き残った兵士は近隣の島に逃げましたが、生還率は、3%だと言われています。甲府49連隊が玉砕した地でもあります。
ここレイテ島での地方病(日本住血吸虫病)の有病地面積は、九州に匹敵するほど広範囲にわたっています。おそらく太平洋戦争時には、日本兵もこの病に罹患し、苦しめられたと容易に想像できます。前回までのブログで、林先生が大岡昇平氏著「レイテ戦記」には地方病のことが触れられていないと指摘したことを紹介しました。林先生とも親交のあった有泉信先生の論考によると次にような箇所が見られます。
「大岡氏は、昭和62年8月末、甲府市を訪れ林、古守(注ー当時の市立甲府病院長)両氏と会談しました。席上大岡氏は、俘虜収容所で一緒だった、生き残りの衛生兵に尋ねてみたが、全然知らなかったとの返事だったと語ったそうです。(中略)
「レイテ戦記ー補遺」の原稿料のすべてを林先生の主催する「地方病に挑む会」に寄付しました。そして大岡氏は、翌年亡くなりました。
有泉 信
山梨県医師会報平成3年「地方病とレイテ島」を参照しました
日本軍は、フィリピンの地方病のことに無関心だったようです。それに比して米軍は早くから地方病に対する取り組みを始めていました。日米の違いはどこから来たのか、次回はその模様を紹介します。
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