地方病教育推進研究会ブログ

山梨県地方病の制圧までの歴史

林正高先生について その2

地方病教育推進研究会事務局です。8月に入り最初のブログ記事です。

今回は、林正高先生についての続きです。インタビューを受けたのは、当時60歳です。

 

地方病(日本住血吸虫病)に対して安全宣言が出された前年、1995年(平成7年)11月16日の毎日新聞のインタビューに答えた記事の一問一答です。(前回の続き)

 

ー(宮入)貝は残存するのに、対策事業は必要ないか。

・そこが問題だ。病気の出た住民に「貝さえ殺せば撲滅できる」と言ってきたのに矛盾する。

ー将来、再発しないか。

・現在は感染しているミヤイリガイがいないのは確かだが、感染地の中国、フィリピン

から来日する人がいる以上、虫卵がミヤイリガイに入り込まない保証はない。患者と貝さえあれば、感染の恐れは残る。

ー中間報告書は、数年間の監視が必要としているが。

・数年という短い監視ではなく、長く継続すべきだ。新たな病人が出たときに受け皿が必要だ。これまで病人が出なかっただけのことで、あいまいな形で「安全」とか「終息」との言葉を使うべきではない。

 

幸いにも終息宣言が出された以降、感染者は出ていません。しかし、ミヤイリガイの棲息は続いています。ちなみにかつての有病地であった佐賀県広島県ではミヤイリガイを撲滅しました。また、国際交流はますます盛んになり、来日する外国人も増加しています。

新型コロナの感染者の急増も外国との交流がその一因となっています。急速に進む国際化は、新たな感染症パンデミックのリスクと隣り合わせと言っても良いでしょう。

今を生きる私達にとって、林先生のこのインタビュー記事の言葉は極めて大切なメッセージではないでしょうか。林先生については、また紹介していきたいと考えています。

 

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  地方病教育推進研究会 事務局長