地方病教育推進研究会事務局です。(ブログ第96号)
杉浦健造が地方病の治療と研究に活躍していた頃、山梨県内には多くの研究者たちがいました。すでに本ブログで紹介した吉岡順作、三神三朗らです。日本住血吸虫の発見者桂田富士郎も中間宿主ミヤイリガイ発見者の宮入慶之助も本県地方病の彼ら研究者の協力なくしてなしえなっかったと思います。
写真は『杉浦健造先生頌徳誌』
健造は、日頃から「国家の基礎は国民にあり、人の幸福は健康に在り保健の源は衛生にあり」と医師としての信条を語っています。(同誌P6から引用)
こうした彼の思いが日々の患者への治療と地方病研究へと向かわせました。また地元小学校の校医としても活動しています。1925(大正14)年2月11日、学校衛生の改善の功績により文部省及び県知事から表彰されています(ちなみに生涯を通じての受賞は100余件)。
1931(昭和6)年に押原小学校に勤務した当時の校長は、次のように回顧しています。
「昭和6年10月山梨県教育会主催の運動競技会において優秀な成績をおさめて帰 校するや、杉浦先生は職員児童700有余名を自家に招きかねて用意しておいた甘酒を杉浦先生そして夫人自ら先頭に立って全家族を励まし、更には組内の全員を手伝わせそれを振るまい、児童の笑顔の様子を見て喜んでいました」と。
心温まるエピソードですが、彼は後年村長としても村の発展に活躍します。
次回(最終回)に続きます。
地方病教育推進研究会
事務局長