地方病教育推進研究会ブログ

山梨県地方病の制圧までの歴史

筑後川流域における日本住血吸虫症⑧(最終回)流行終息宣言へ

地方病教育推進研究会(略称‐教育推進研)です。(ブログ第137号)

昨日富士山の今シーズン初冠雪が、甲府気象台から発表されました。富士山の本格的な冬の到来です。

 

日本住血吸虫症をこの流域の人々は、ジストマやマンプクリンなどと呼んでいました。「佐賀県の奇病」と言われてきた大変恐れられてきたこの奇病の名前の由来は、ある患者の病理解剖の結果肝臓ジストマの卵などが発見されたためでした。このとき日本住血吸虫もいましたが、わからなかったようです。それでジストマと呼ばれるようになりました。

明治・大正と研究者の努力により、本症の原因が寄生虫である日本住血吸虫によるものであることがわかり、そして中間宿主ミヤイリガイの存在が明らかになりました。日本住血吸虫の生活史が解明され、以後制圧(撲滅)への扉を大きく開けたこととなりました。

先の大戦後、宮入貝駆除対策や治療も大きく前進しました。しかし、患者の診断には、とても苦労したようです。感染すると初期の段階では、患者によっては皮膚炎を起こすこともあります。発熱があり結核初期と同じ症状を起こす場合もあります。また流行地以外から来た人が発熱すると腸チフスと誤診され、隔離病室に入れられた患者もいました。

流行地出身の学生が長崎大学に遊学中に吐血し、医師の診断がつかないまま死亡し、解剖の結果、本症と判った例もあります。いずれも診断の困難さがわかる事例です。

写真は、佐賀県日本住血吸虫病安全宣言記念式典(出展:旧・北茂安町史)

制圧までの歴史の中で様々な困難やエピソードがありましたが、本ブログではその一部を紹介しました。そしてついに写真の通り「安全宣言」が出されるに至ったのです。

まず平成2年3月30日付けで「筑後川流域宮入貝撲滅対策連絡協議会」会長・松浦哲による安全宣言が行われ、続いて知事から次のような宣言が出されました。

宣言

本日筑後川流域宮入貝撲滅対策連絡協議会において筑後川流域における日本住血吸虫病

安全宣言がなされたことを受け、ここに本県における日本住血吸虫病の安全を宣言いたします。

         平成2年3月30日 佐賀県知事 香月 熊雄

 

筑後川流域には昭和58年(1987年)5月に久留米市・宮の陣地区で宮入貝が発見されて以降、生息が確認されていません。その結果などを踏まえて「安全宣言」が出されたのです。(山梨県では、平成8年‐1996年2月に流行終息宣言が出されたましたが宮入貝の生息は現在まで確認されています)

 

今回のブログは、『北安茂町史 2005年版』、『からだの科学 1966年1月 15日号「筑後川流域の日本住血吸虫病」 岡部浩洋著』、『九州大学医報昭和43年10月号 宮入貝発見前後 岡部浩洋著』などを参考に編集しました。

 

筑後川流域における日本住血吸虫症」についてのブログもとりあえず最終回となりました。この企画に不安もありましたが、様々な方々から協力を得て資料が集まりしたので執筆を進めることができました。協力していただいた方のお名前は省略しますが、感謝に尽きません。ありがとうございました。